人は悲しみを忘れてしまえる生き物だと思う

 

昨年の今ごろ、溺愛していた猫が死んだ。

悲しくて、今でも悲しくて、思い出すたびに少し泣いては落ち込むということを繰り返している。まだ遺骨も枕元にあるし、遺骨があるというのにひょっこり帰ってくるような気もする。その猫のことを考えるたびに夢にもでてくる。そして、朝起きると、ああまた夢だったとがっかりする。

自分の周りの人や動物がどのくらい死ぬのか、それが他者と比べて多いのか少ないのかなんて、わかることでもないし比べることでもないけれど、おそらくわたしはそこそこ多いほうではないかなと思う。だからなのかわからないけれど、あまり悲しい、つらいという気持ちがわかない。生きているものはいつか皆死ぬ。それが早いか遅いかだけですべからく皆死ぬのだ。だから別に悲しむ必要もないとどこかであきらめているのかもしれない。とおもっていた。おもっていたけれど、猫は違う。後悔しかない。もっと一緒に生きられたのではないかと思うと、悲しくて悲しくてどうしようもないのだ。どうしようもなくて泣くことしかできない。どこかで信じられていない気持ちもある。1年たっても心がめちゃくちゃなまま。なにも変わらない。

そんな日々を今も変わらず続けているのにもかかわらず、今度うちに子猫が来る。まだ2ヶ月の赤ちゃん中の赤ちゃん猫。少し、いや、だいぶ楽しみだ。今からワクワクしていて、先住猫や犬に優しくするのよ、お兄ちゃんになるのだからと言い聞かせている。

人は悲しみを忘れてしまう生き物なのだと思う。これは悪いことでもあるし、良いことでもある。悲しみを忘れなければ、新しいものを愛せない。

でも忘れたくないこともたくさんあるから、忘れないように今日もまた、猫の夢を見ることにする。

 

 

おわり